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子供のころ、母からよく小言を言われたことを思い出す。 せっかく買ってもらったおもちゃの拳銃。 どうしても、拳銃が動く仕組みを見たくなってしまうのだ。 すばらしい映画を鑑賞すると、どうしてもその製作背景を知りたくなる。どうしてこんな映画が出来たのか。どんな工夫が施されているのか。 永遠の青春映画「ローマの休日」(ウイリアム・ワイラー監督 1953年公開)が登場した背景には、やはり当時のハリウッドがおかれた歴史的な事情があった。 <当時の世界情勢>まず、この時代の世界は深刻な東西冷戦の局面にあった。 その狂気の余波がハリウッドを襲った。 「赤狩りは、第一次大戦以来、繰り返し行われてきたことだったが、その異分子排斥の魔女狩り的性格と言う点からすれば、それは、植民地時代からのアメリカの政治的伝統的だった。この『魔女狩り』は、社会的危機が深まるたびに形を変えて繰り返し現れ、黒人、カトリック教徒、中国人、日本人、ユダヤ人その他が犠牲になった。 「・・・実は、実際にこの赤狩りで攻撃されたのは、共産党員というよりも、むしろ主に容共的リベラル派だったのである。・・・・この委員会で証言したり告発されたりする人物の多くは、有名な俳優や、人気コメディアン、文学者、政治家だった。・・・・・それは一種の政治的なショーだったのだ。1947年、当時俳優組合委員長だったレーガンは、『赤い』俳優を告発して政治家への第一歩を築き、1949年には、ニクソンが国務省の生え抜きエリート、アルジャー・ヒスを偽証罪に追い込み、一躍、共和党の若手ホープとなった・・・・。赤狩りはあらゆる分野に及び、報道・言論界は言うに及ばず、PTAの役員選挙にすら『赤攻撃』が登場した。学校の図書館からは、『赤い』本が除去されたほどだった。」(同書) レーガンやニクソン(いずれものちの大統領)が「赤狩り」の時流に便乗して頭角を現した人物だったとは知らなかったが、その後の彼らの政治姿勢を思い浮かべると、なるほどと合点がいく。「ポピュリズム」は古代アテネいらいずっと民主制度の宿痾なのだろう。 そして、こうした集団的ヒステリー状況をみて、これを自らの上昇志向の「追い風」に利用した政治家のひとりがウィスコンシン州選出の共和党上院議員ジョセフ・マッカーシーだった。 自分の再選のために、何の根拠もないデマ宣伝を声高に叫んだのだ。スピッツみたいに吠え声だけ騒がしい扇動政治家の原型といえる。大衆の劣情に訴えるすべだけには長けている。
「1950年の初め頃は、マッカーシーはウィスコンシン州以外の世間の人にとっては取るに足らぬ人間であった。ウィスコンシン州ではかれは下品で大げさな身振りの、公共の利益にいいかげんな態度で臨む安っぽい政治家として知られていた。・・・・・」 「マッカーシーはウェストバージニア州のウィーリングで演説をし、この演説の中で国務省には共産主義者がうようよしており、自分もその名前を知っていると言った。後日、マッカーシーは共産主義者が205人と言った・・・・直ちに、この驚くべき発言を調査するために上院委員会が設けられた・・・・」(同書) 「・・・・かれはほらを吹いたのだ。国務省に共産主義者がいるとしても、かれはそれが誰かということは知らない。とはいえ、彼は出番を作ったのであった。かれは脚光を浴びた。注目を集めた。そして舞台をさらった。何週間もたたぬうちに、マッカーシーの名はいたるところで聞かれ、知れ渡り、その重々しく、恐ろしげな容貌は全米の新聞記者、映画観客、テレビ視聴者におなじみのものとなった。・・・・」(同書14ページ) つまり、このデマ宣伝は当の本人の思惑もはるかに超える騒動となって、全米を揺るがせた。 上院議員2期目の選挙キャンペーンの目玉になるという思い付きで、飛びついてみただけだったらしい。もったいぶった詐欺的パフォーマンスに大衆が騙された。 しかし、勢いに乗った言動には、陥穽があった。 「マッカーシー自身は、軍部にまでその攻撃の矛先を向けるという『やりすぎ』のために、1954年、上院で弾劾決議を受け、政治生命を絶たれるが・・・・その後も赤狩りは続き、1960年代に入って国民の反対運動が始まると、ようやく下火になった。・・・」(同書)
この間に、マッカシーよりもはるかに「賢い」ニクソンらは形勢不利と見てマッカーシーを見捨てた。洋の東西を問わず、本当の悪党は用心深いうえに「機を見るに敏」なのだな、とヘンな感心をしてしてしまう。 もともと緻密な計画性のある行動でもなかったため、一時の人気バブルが過ぎるとその胡散臭さが露見して、あっという間に失脚したようだ。 <ハリウッドの「冬の時代」> しかし、このためにハリウッド映画界の蒙った痛手は甚大だったようだ。 そもそも、映画産業自体が典型的な「人気商売」なのだから、大衆感情に左右されるのはやむを得ないともいえる。その意味で映画も「時代の子」といって間違いないだろう。 実は、映画「ローマの休日」もまた、こうした「赤狩り」旋風の時代の作品として観ると、作品の歴史的な位置が見えてくるように思った。 例えばチャップリンのように、単なる「お笑い役者」という枠を超えて、自分の作品に強い社会的メッセージを載せたケース。 興業的な成功に満足するだけではなくて、鋭い社会批判を展開した。今どき流行りの軽薄な「お笑い」とはレベルが違う。それはいずれ歴史が「淘汰」するだろう。 貧しいホームレスが警官を翻弄する、おなじみのドタバタ劇が大衆をおおいに沸かせたが、治安を取り締まる側には不愉快だったに違いない。そこには30年代の世界恐慌に苦しむ弱い立場の人々への強い共感があったのだと思う。つまらない「うけ」だけを狙った「ミーハー・ギャグ」ではない。そこに作品の価値があると思う。 1947年「アメリカ合衆国下院非米活動調査委員会」(The House Committee on UnAmerican Activities)通称「非米活動委員会」では映画『殺人狂時代』をつくったチャップリンに対して、なんと米国からの追放とその作品に対する上映禁止要求が出た。 同年10月に悪名高い第一回聴聞会が開催され、これを不当とするハリウッド映画人(いわゆるハリウッド・テン)が証言を拒否して抵抗を始めた。その中に脚本家ダルトン・トランボや映画監督エドワード・ドミトリクが入っていた。 当初、抵抗派には言論や思想信条の自由を保障するアメリカ憲法修正第一条を守る立場から、「第一修正委員会」の設置を呼び掛ける動きが起き、その発起人の中にバート・ランカスター、ウイリアム・ホールデン、キャサリン・ヘプバーン、カーク・ダグラス、ベニー・グッドマン、トーマス・マンなどと並んでグレゴリー・ペックもいたし、代表世話人にはワイラー監督も名を連ねたのだ。 ところが同年11月、「ハリウッド・テン」に対する「議会侮辱罪」が下院本会議で採決され、圧倒的多数で賛成決議されてしまった。形勢はにわかに悪化して「ハリウッド・テン」はパージされ、実質的に職を失ってしまう。このため抵抗運動は急速に尻すぼみとなり、リベラルな「修正条項委員会」の動きは一気に鈍ってしまった。 安っぽいパフォーマンスに長けた政治家(屋)が、人気を得てまんまと権力を握ってしまうところに「大衆民主主義」の落とし穴があるのかもしれない。 しかし、「民主主義」を安易に諦めるのは容易い。これ以上に優れた政治制度は今のところ無いのだから、辛抱強く手放さないでいくしかないのだろう。要は「復元力」ではないだろうか。へんな大統領の登場にも意味があると信じたい。 話をもどすと、50年に勃発した朝鮮戦争で感情的な反共意識と愛国心が高揚した。こういう熱狂の時には「冷静な眼」が曇りがちなのだと思う。 翌51年にはドミトリクも「転向」してしまう。52年には俳優エリア・カザンも「転向」して聴聞会に証人として出席。 こうして53年ころまでにはブラック・リストに乗った324名が映画界から追放を受けた。トランボも地下生活に入った。 ハリウッド映画界はかなり重苦しい閉塞状態に陥った。こんな時代にワイラー監督「ローマの休日」は作成されたのだった。 本編のテーマにとって格好の論考、吉村秀夫著「ローマの休日」(副題ワイラーとヘプバーン 朝日新聞社1991年刊)には、次のように詳説されている。 「アメリカ民主主義は、今も昔も世論ないしは世論調査で動くという性格を持っている。そのなかで非転向を表明することや、ましてや反撃は、この時期においては不屈の意志と思想性が必要であったろう。世論が急転回し、朝鮮戦争がはじまる中でますます抵抗は困難であった。いずれの国いずれの時代でも戦争は大方の人間をナショナリストにしてしまう。・・・・そんな狂気の時代にリベラルとしての節を守るのは、なまじっかの覚悟では不可能である。・・・・・」 ここはとても大切な指摘だと思う。 二つの大戦の戦勝国(今では疑問も指摘されている)として、史上かつてない繁栄を享受した自由の国アメリカほどの民主主義先進国にあっても、40年代末から50年代まで吹き荒れた険しい政治的文化的反動は、我々に大きな教訓を与えてくれる。 視聴率や部数に左右されやすいマスコミ(=商業ジャーナリズム)もまた、これを助長する傾向がある。 一種異様な社会的興奮状態のなか、少数派に不当なレッテル(「非国民」など)を貼り、ヒステリックに排除しようとする圧力が高まった。 結局、正常化できる復元能力がその社会にどれだけあるかが、民主主義の強靭さをはかるバロメーターだろう。バランスのきいた判断に落ち着く思慮が大事だと思う。
<「ローマの休日」製作の背景> そんなときワイラーはグレゴリー・ペック(すでに俳優として名声を得ていたので、本来はこの映画の主役格だったらしい)を起用し地下活動中のダルトン・トランボのシナリオと知りながら、あえてその脚本原本を採用し、ハリウッドを避けてローマでこの映画を監督したのだった。 外地で製作したことには当時の世界経済事情もあった。 「パラマウントが海外で凍結させているドルを資金にして映画製作するのを、パラマウントのプデューサーでもあるワイラーが一役買って演出を引き受けた。ドルを海外で使うことを基本とする・・・・」ためだったのである。(吉村秀夫著 「ローマの休日」173項) 内容からすると、戦前から本格的な芸術作品や社会派と呼ばれる問題作を手掛けてきたワイーラー監督の作品群の中で、この「ローマの休日」は異色の作品と言えるようだ。 吉村氏はワイラーの全作品の意味や手法を綿密に検討した結果、以下の様に解釈する。 「人間不信と裏切りの時代に人間信頼を貫く作品を作りたいと考えた。・・・・ワイラーの曲がり角が『ローマの休日』であったことから結果論として推測すれば、不信から信頼への転換は自覚的決意に支えられていたと考えるのが妥当である。トランボの原案(脚本)を読んだ段階で・・・・友情や人間的真実をうたいあげる作品がつくれると計算した・・・・」(179項)
そうだったのか。 歴史に残る傑作の秘密が解けたような気がした。 <ローマの休日> 背景を念頭に、ストーリーをもう一度概括してみよう。 若いアン王女には耐えがたいほど窮屈な公的儀礼に、がんじがらめのヨーロッパ公式訪問。 そこで偶然出会った、親切で紳士的なアメリカ人青年。デートの舞台はローマの旧跡めぐり、という異国情緒溢れる観光気分。
吉村氏の指摘で初めて分かったのだが、この典型的なお人よし、好感度の高いアメリカ人青年(グレゴリー・ぺック演じるブラドレー記者)像には、フランス圏からはるばるハリウッドにやって来たワイラー監督が託した「アメリカ人の理想像」が投影されていた。 ユダヤ人の母を持つ若きワイラー青年自身もまた、新大陸アメリカに理想を抱いてやってきたのだった。 ブラドレー記者は身分を偽り、内心は王女と知りつつ、アン王女と手をつないで市内見学をエスコートする。これは一世一代の大スクープになると踏んだからだ。これで特別ボーナスを手に入れて、さっさとニューヨーク本社に帰ろう。 王女を取り巻くローマの庶民は皆、底抜けに明るくて、とても親切な人々に描かれている。 スクーターの交通違反を取り締まるローマ警察のゆるさ加減も含めて、周囲すべてが「王女様」の冒険を心温かく見守ることになる。 皆がアン王女の味方になってしまう至福感。
しかし、束の間の冒険が終わってみると、王女の不在を心配し、帰りを待つ国民の声が耳に入った。彼女は我に返る。 実は内心で、アンはこの冒険が所詮「かりそめ」であることを自覚していた。たまさか出会った二人。互いに恋心を抱くなりゆきになったが、アンは「世俗世界」では生きられない自分の「正体」を本能的に解っている。 かくて彼女は初めて、この世に生まれた自らの「運命」にやっと正面から向き合うこととなる。「次期国家元首」たる、本来軌道に戻るのだ。 翌日、ローマを旅立つ直前、宿舎の王宮での各国合同記者会見。 彼女を好きになってしまい、スクープを断念したブラドレーも、男の友情を守る相棒のアービンも、報道関係者として会見の最前列に並んでいる。 はじめは、記者たちの質問に型どおりの返事をしていたアン。 ために、はしなくもアンのホンネが飛び出てしまう。 Each in its own way…….Rome! By all means, Rome. 詩的な、とても美しいセリフだ。 秘密を共有しているブラドレーは、質疑に託してアン王女とのことを絶対口外しない、という含意のメッセージを送る。 May I say (speaking from my own press service) we believe that Your Highness’s faith will not be unjustified. 見詰め合う二人。 やがてアンは階段を下り、記者たちに「握手」をサービス。侍従にとっては驚きの想定外の行動だった。 相棒のカメラマンは思い出の写真をこっそり贈呈。二人はスクープというカネ儲けよりも、人間の愛と信頼を優先したのだった・・・・・。 何回見てもため息の出るような、感動的な永遠の別れの場面だ。
ここに、マッカーシズムの聴聞会でずたずたに引き裂かれたハリウッド映画人に、もう一度「人間信頼」を恢復したいとの切実なメッセージを巧みに寓意したとも読み取れる。 これまでに考察した当時のハリウッドの状況からして、案外、真相に近いのかもしれない。また、そう考えると感動もより深まる。
また、物語は「女の子」が「責任を担う大人」に変身するイニシエーションでもある。 ストーリーの前後はアン王女の「変身過程」を、綿密かつシンメトリックに構成している。今思いつくままに記しても、憧れ、逃亡、冒険、希望、恐怖、恋愛、感傷、断念、受容といった青春期の心理過程が、かくも瑞々しくきっちりと描きこまれていることに感心する。 ここに、暗い赤狩りマッカーシー時代を耐えて生きたハリウッド映画人たちの、起死回生のターニング・ポイントを託したのかもしれない。吉村氏はそれをワイーラー監督自身の創作心理として分析している。 <オードリーの登場> こうした次第だからこそ、ハリウッドではまったく無名で「手垢のついていない」オードリーを採用したのかもしれない。 当初アン王女役の候補は、エリザベス・テイラーであった。 このころのオードリーのオーディション映像を観た。 大陸出身のワイラー監督が描きたかった「ヨーロッパ最古の歴史を持つ家系の王女」のイメージに、相応しい女優であったことは言うまでもない。 いずれにせよ、この映画には「永遠の青春物語」たる、深いゆえんがあったのだった。
一見すると、とても明るくて屈託のない「おとぎ話」のように見えるものの、実は「人間への信頼」の回復を切実に望むハリウッド人の強く深い思いが込められていた。それは、アメリカに希望や理想を託した人々の強い理想主義の表れ、と見ることもできそうだ。 だからこそ、「永遠の青春物語」として残ったのではないだろうか。 |









